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    世界の写真家⑭ アウグスト・ザンダーが活写した市井の人々

    YOKOSUKA, KANAGAWA, JAPAN

    03.10.2014

    Courtesy Story

    Commander, Fleet Activities Yokosuka

    August Sander (1876-1964)

    アウグスト・ザンダーはドイツ・ラインラント=プファルツ州アルテンキルヒェン郡ヘルドルフの生まれで、父は炭鉱で大工として働いていた。自らも少年の頃から炭鉱で働き始め、十六歳のとき鉱山会社の仕事で撮影する写真家の助手を務めたことから、写真に興味を持つようになる。ザンダーは叔父の援助で写真機材を手に入れ、自分の暗室を持つほどの熱の入れようだった。

    二十歳になると兵役に就き、軍隊でも軍務カメラマンの助手として働いた。二年間の軍役を終えたザンダーはドイツ国内を放浪し、その後1901年にリンツ(現オーストリア)の写真スタジオのスタッフとなる。1904年にはこのスタジオのオーナーとなった。

    のちにケルンにスタジオを構えたザンダーは、ケルンの進歩的画家らによる新即物主義のグループと親交を結び、1920年頃から写真における新即物主義の実践として、人物写真による社会の記録というテーマで撮影を始めた。1927年には3ヶ月に及ぶサルデーニャ地方の撮影旅行に出かけ、このときの旅行では大型カメラで乾板500カットもの人物写真を撮影したというから、相当な労力を伴った撮影旅行であったと思われる。

    1929年に「時代の顔」という写真集が出版され、彼の作品は大きな反響を呼んだ。ザンダーのライフワークである「20世紀の人々」は農民、熟練工、労働者、経済人、政治家、芸術家、退役軍人などドイツのすべての職業や階層に分けて、人物写真によってドイツ社会を表現するというプロジェクトであった。

    ナチスドイツの時代になると仕事上の制約が多くなり、また息子のエーリッヒが反ナチスのドイツ社会主義労働者党に加わって投獄されたことも重なり、ザンダーは1942年にケルンから農村地帯に移住した。1944年ケルンは連合軍による空爆を受け彼の写真スタジオも破壊されたが、引っ越しのおかげでザンダーの写真原版のほとんどが無事だった。ザンダーは1945年までに4万カットの人物写真を撮影しており、終戦後の1946年にケルンで写真展を開催する。また晩年の1962年には初期の作品による写真集「ドイツ人の鏡」が出版された。

    ザンダーの仕事は長い年月をかけて積み重ねられたもので、一枚一枚の写真からは忍耐強くかつ誠実さを持って撮影されたことが想像できる。

    ザンダーの死後38年経った2002年には、650枚におよぶザンダーの写真による全7巻の写真集が出版された。ザンダーによって活写されたドイツの市井の人々の風貌は、優れた芸術作品であると同時に貴重なる記録遺産として、現代においてもまったく色褪せることはなく、われわれに深い感銘を与えてくれるのである。

    - 河辺雄二、FLEACT横須賀広報課

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    NEWS INFO

    Date Taken: 03.10.2014
    Date Posted: 02.18.2024 01:23
    Story ID: 464174
    Location: YOKOSUKA, KANAGAWA, JP

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